平成16年度 第5回茨城県社会教育委員会議

2021年12月20日 15時26分 [茨城県生涯学習審議会]
2005年2月4日
平成16年度 第5回茨城県社会教育委員会議
議事要旨


1 日時 平成17年2月4日(水) 午後2時から
2 場所 茨城県三の丸庁舎 3階 茨城県水戸生涯学習センター分室大講座室
3 出席委員
   川上美智子議長,木村競議長,伊佐治好美委員,大久保英絋委員,大野重男委員
   櫻井よう子委員,佐藤宏之委員,塩原慶子委員,堤千賀子委員,中川輝夫委員,平塚知真子委員
  事務局
   助川幹夫生涯学習課長,大曽根徹課長補佐(総括),他
4 審議テーマ
  「未来を切り拓く新たな社会教育の在り方について」
5 課題
  若者の自立支援~青少年の主体的な社会参加に向けて~
6 議事要旨

(議長)
協議はいよいよ大詰めを迎えた。一昨日,保健福祉部から「新エンゼルプラン」の提言書を知事に提出した。このプランは次世代育成が骨子になっており,昨年の社会教育委員会議で報告した「スプリング・プラン」の一部を盛り込ませていただいた。
今回の会議資料として,ニートについての資料を副議長から提出いただいたが,ニートというのは働く意欲がないのではなく,働くことに希望を失った状態の働けない若者であるということである。こうした若者を含め,社会教育の立場からどのような支援ができるかが,今回の主要なテーマであると認識している。
では初めに,議題1の「若者の自立支援~青少年の主体的な社会参加に向けて~」から始めたいと思う。前回の会議では,報告書の骨子案づくりに取り組んでいただいた。全回の協議の論点を振り返りながら,報告書素案について事務局から説明いただく。
(事務局)
前回の会議の論点については,報告書とともに要約版又はパンフレットを作ったほうが良いということ,また,若者にとって失敗をやり直すことが必要であるということ,本件の個性を全面に出した報告書にするために本県の具体的なデータを盛り込むことで独自性が出るのではないかということなどを,ご意見いただいた。具体的には,高校で起業家を養成する職業教育導入の提案,就業体験が職業を通じて社会貢献しているということを理解させるのに有効だということ,また,若者に対する支援という観点だけではなく,子どものために活動してくれる大人を増やすことが必要であること,子育てにおいてはお手伝いだけでなく,幼少時から家族の一員として仕事を与えて責任を持たせることが必要であることなどをあげていただいた。
特に,正のスパイラルに入れない子どもたちをこちらから引き入れるという発想ではなく,逆に子どもたちの方から寄ってくるような情報を届けていくことが必要だということ, これに関して情報の受け手の視点に立った情報発信の仕方を工夫する必要性について御意見いただいた。また,教員に対して社会教育の研修を行う必要があるのではないかという御意見もいただいた。加えて,民間団体と行政との連携の推進,さらに報告書の周知徹底を図って欲しいという要望があった。以上が前回の会議の概要である。
資料2は,今年2月に報告された茨城雇用創出連絡会の「茨城県雇用人材プログラム」である。大きな柱立てとして若者雇用・人材力強化ということで,国で行っている「若者自立・挑戦プラン」に対応するシステムづくりが触れられている。本会議の報告書にも一部引用している若者の就業状況等のデータなどについての記載もあるので,参考として配付させていただいた。
(議長)
それでは,資料1について提供者の副議長から説明いただく。
(副議長)
新聞記事については,ニートというものの受け止め方について参考となるので,取り上げた。
次に,報告書の構成及び内容について説明したい。本会議において,考え方や方針に関しては様々な議論を尽くすことはできると思うが,実効性ということに関しては,対象となる若者たちに実際に向き合っている現場においてこそ,工夫や反省等が生まれるのであって,現場に基づかれなければ実効性のある方策というものは,具体的には出てこないのではないか。具体的な提案を創り出せるようなシステムをどう作るかということに的を絞って,議論した方がよいのではないかという考えを持つに至り,このようにまとめた。それが「1 内容を以下に絞る」の①,②で述べていることである。
「3 報告書の目的を以下に絞る」については,今までは行政のみならず現場を離れたところでプランを立てていたきらいがあることから,発想を転換し具体的な施策は現場で作っていただくという方向に持っていくことがよいのではないかということである。
4ページには,「第3章 茨城県における若者の自立支援のシステム作り」と課題をつけたものがあるが,ここに新しい提言を入れてはどうであろうか。「茨城県における」としたのは,本会議でも何度も出されているように茨城独自のものを作ろうということで,茨城県の実情に合わせ実行していくことが,独自性につながると思うからである。そのためにも,現状を把握することから始めて欲しい。
また,「長い目で見るもの」と「すぐに効果を期待するもの」と両方書いたが,たとえば資料2の「茨城雇用人材プログラム」が,すぐに効果を上げるための施策であると思うが,社会教育ではすぐに効果を上げることは難しいと考える。
最後に,自立支援の目玉として「現場会議」を提案した。「現場会議」とは,若者と実際に向き合って活動している方々,すなわち市町村の職員,NPO団体,地域団体といった方々により,3段階ほどのシステムを作ってはどうかという提言である。問題を共有しヒントを出し合って意見交換・交流をする第一段階,それを受けて県や各市町村の応援を受けながらプランニングする第二段階,談三段階としては連絡・情報公開を行うという一連の流れが,サイクルで回っていくようなシステムになると思う。このようなシステムがあれば,実効性はもちろん,茨城の現状を最も熟知した人々から始まるものゆえ,真に茨城独自のものになるのではなかろうか。これを県の施策として行うということは難しい面もあるが,あくまでも主体性を現場に任せ,県は場づくり,設定づくり,又はそのサポートを行うということならば,現実も難しいことではないのではないか。
(議長)
副議長から「現場会議」という提案をいただいた。後ほどこの点に関しても御意見いただきたい。
それでは,報告書素案について事務局から説明願いたい。
(事務局)
右肩に2番とある資料をご覧いただきたい。先ほど副議長からご提案いただいた項目を,報告書案文として具体化し整理した。
第1章について『ユース・・サポート・プラン』としたのは,今回の提言の仮称である。この章では,現状を踏まえて若者への支援の必要性について述べた。
第2章では社会教育でできることは何か,具体的に取り組んでいく上での考え方・方向性をまとめた。
第3章では,第2章を具体化していくための方策ないしヒントを含めて展開した。特に第2,第3節では,「長い目で見て効果が上がる」システムと「短い期間で効果が上がる」システムを整理するにあたり,長い目で見て効果が上がるものは主に現在の若者ではなく,これから若者になる下の世代を対象にし,すぐに効果が上がるものは我々が当初,支援のターゲットにしていた若者の世代を対象にするという整理の仕方をした。
以上が,骨子としてまとめたものである。しかし,副議長から話があった「現場会議」の部分については,今後整理していこうと考える。なお,報告書の中で実際の取組みの紹介も兼ねて,極力具体的な実例については写真等を用いながら,ビジュアル面でも工夫した報告書づくりをしていきたいと思う。
(議長)
今説明にあったが,「現場会議」のようなものは第1章に位置付けて盛り込むのが良いと思うが,事務局としてはどう考えるか。
(事務局)
現段階では,『ユース・サポート・プラン』の第3章の本県独自のシステムづくりの部分に盛り込んではどうかと考えている。
(議長)
編集のことなどは,後ほど改めて相談したい。
ただ今,事務局から説明があったが,委員さんの皆さんからご意見をいただきたい。
私の考えを先に述べると,最初のところに『ユース・サポート・プラン』とは何なのか,ということを集約させた方が良いのではないかと思う。それから社会教育としてできることは何かということを説明してはどうか。また,本県の現状が第3章に書かれているが,むしろ最初のほうに持ってきた方が良いのではないか。第3章は事例集としてまとめた方が良いのではないかと考える。
(委員)
「若者を何とかする」という発想を捨てるという部分があったが,『ユース・サポート・プラン』と言う名称は,若者を何とかすることにつながるのではないか。
(議長)
これは仮称なので,他に良い案があれば出していただきたい。
(委員)
実際に引きこもりの若者たちに音楽療法を行っている立場から言うと,大学生や大学院生といった知識の豊富な若者が引きこもってしまっている現状がある。彼らと話してみると,その年代の若者は非常にいろんなことを考えていることが判る。しかもそれが解決しないうちに次のことが重なると,課題が過重になりすぎてしまっている状態になっているように見える。引きこもり,無気力のように見えるが,頭の中は非常に活発に活動している。若者にとって現在の社会的状況は,かなり厳しいものと思われる。しかし,社会的背景は違えども,私自身の若い頃もおそらく同様に厳しかったのではないかと思う。そう考えると,若者をどうするというよりは,若者自身が自分をどうするかではないか。
また同時に,このような問題が表面化する前は,現在のように若者が優遇されていたであろうかと考える。優遇されればされるほど,キレる若者が増えているように感じる。かつては大人が世代の壁になり,保守的な価値観を持った存在として若者に立ちはだかって,成長を見守るといったこともあったが,その壁をどこに置くかが,現在は難しくなっていると思う。
その点で,資料の図にあるように3歳から5歳までの幼児期が大切だと思う。公の場できちんとできない日本の子どもと比べ,ヨーロッパの子どもは実にきちんとしている。それは特別な子どもたちに限ったことではなく,どうやら3歳から5歳くらいの間にかなり厳しく育てられていると言う状況があるらしい。3歳まではかなり甘く育てられ,子どもの年齢による親の接し方がはっきりしている。ヨーロッパの状況を考察すると,問題を抱える若者をどうするかということもさることながら,3歳から5歳までをどうするかと言うことを真剣に考えていかなくてはならないと思う。若者に関して言えば,自分の若い頃を思えばあまり親切にされることが,必ずしも良いことではないという思いもある。3歳から5歳の子どもをどうするか,若者世代と大人が向き合う時に若者をどうするか,という2点が重要だと思う。後者に対しては,地域のボランティアなどの指導者が社会にたくさん輩出されることが必要であると考えている。また,子どもが家庭の中でしか遊ばなくなってしまった現在,過去に行われたような,若者の農家や工場など生産現場への派遣等を行っても良いのではないだろうか。
ただ,若者たちがフリーターやニートになるような状況を作っているのは,リストラ経営戦略が急速に導入され,それに対する政策がなかったことが原因であって,若者たちが急に怠惰になった訳ではない。要は労働市場が問題なのではないか。労働市場のシェア競争の中で,まだスキルを持っていない若者たちが仕事に就けない状況になっている。かつて欧州で表面化したこの問題は,オランダを先駆としてワークシェアリングという考え方が起こり,実行されたことにより世代間の風通しがよくなったということを聞いている。このような解決方法は,政治においてしっかりとした政策を構築する必要がある。
徹底したコンピュータ化,省力化とリストラ,合理化の挟み撃ちにあって,働く場がなく夢を持つことができずにあえいでいるのが,今の若者たちの姿であることを認識する必要がある。
(議長)
委員の主旨は,一つは『ユース・サポート・プラン』のサポートがいらないのでははいかということである。若者の主体的な自立という観点から考えると,『ユース・プラン・フォー・インディペンデンス』という名称でも良いと思うのだが。日本語の名称も「若者の自立支援」の「支援」を除いて,例えば「若者の自立に向けて」であったり,「青少年の主体的な社会参加の仕組みづくり」であったり,という名称に変えられると思うのだが。
また,3歳から5歳という話が出たが,今回のテーマは若者に重点を置いてはいるが,重要なのはもっと小さい頃からなのだと解釈している。6ページに「若者を包み込んだ充実した人間関係を」とあるが,若者に限らずより幅を広げて「子ども・若者」とすることも考えられると思う。
(委員)
若者をサポートするなどということは,必要ないのではないか。若者自身,サポートというものを望まないのではないかと思うからだ。
(議長)
その点については,検討させていただく。
その他,意見を頂戴したい。
(委員)
『ユース・サポート・プラン』の中には,小・中学生を対象とした社会体験とあるが,私としては社会体験というのは家庭の中からだと思う。この会議の中で毎回言うことであるが,家庭の中において親の意識改革をしっかりやらなければいけないと思う。それができないと,若者に対するサポートを一生懸命やっても,同時に親の意識改革をしなければ同じ事の繰り返しになってしまうと思う。そう考えると,子どもをそうしたいのかという親の意識改革が,必要であると思う。「失敗は成功の元」という部分があったが,現実的には一度の失敗さえ親が許してないのではないか。そのために,子どもたちが自身を持てなくなっているように感じる。一番重要なのは,自分が必要とされているということを子ども自身が感じることだと思う。 『ユース・サポート・プラン』の中で,小学校について触れられているのは一番後ろのところで,具体的には小学校における体験的な職場体験とあるが,最初から幼児期を含めて入れておかなければならないと思う。この報告書は,今子育てをしている人にも見せる必要があると考えるし,これから子どもを生もうとしている人にも,現状を教える意味で必要だと思う。
今,学力低下が問題視され,ゆとり教育を見直そうという動きがあるが,果たしてたった5年で成否を決めてよいのだろうか。大切なことを忘れてはいないか,大人としてそれでいいのかと考えた時に,青少年の自立支援はそこからきちんと取り組む必要があると考える。また,家庭・学校・地域とあるが,現実的には家庭をもっと重視して報告書に盛り込んでいく必要があると思う。更には輝いている大人たちとあるが,心と行動にゆとりのある大人,父親や母親が,果たしてどれだけいるのだろうかと考えると,地域に任せるのではなく自分自身でそのような大人になるしかないと考える。親が自分の子どもと心を通わせて始めて,地域に教育力が出てくるのだと思う。家庭が一番重要な場所だということを,様々な形でしっかりと報告書に入れていかなければならないと思う。
(議長)
骨子には社会教育としてできることが書いてあるわけだが,何が問題なのか,何が重要なのかということを報告書の中で言及して欲しいという意見であった。特に幼少期からの家庭教育について,報告書への書き込みをお願いしたい。
(委員)
つくば市において,社会福祉協議会主催の「子育てフォーラム」が初めて開催され,筑波大学の土井先生による「現代の若者文化を読み解く」という内容の講演を聞いた。その話で思ったことは,今と昔を安易に比較できないということである。環境が大きく変化し携帯電話や24時間営業の店が身近になった現在,昔と現代の子育てとではまったく異質である。少子化・都市化など急激な変化を経験した世代が,現在親の世代になったことで,様々な問題が顕在化してきたのではないか。
先ほどの家庭の中での親の意識改革という点については,全く同感である。しかし,親の意識改革は必要だが,昔とは単純に比べられないくらい変化している現在の状況を,皆で知る必要があるのではないかと思う。例えば,前述した土井先生の講演のようなものを社会教育の講演として聴くとか,今の若者がどう感じているのか,或いは若者がなぜ事件を起こしたのかなど,専門家が考察したことを私たちも共有することが大切だと考える。
先ほど,支援やサポートという言葉がそぐわないという話があったが,サポートは必要なくとも,例えば,昔と比べて今の若者が自分の責任において何か任せてもらい,試してみるという機会が減っているという現状を考えれば,サポートではなくチャレンジさせる機会を増やすということが必要になってくると思う。構造的に自分たちが気付かぬうちに状況が大きく変化していることがあり,それが原因で何か起きるので,背景を知るということについても是非,報告書に盛り込んでいただきたい。
(議長)
今の若者は駄目だというのではなく,その背景にあるものをきちんと押さえて考えようということだと思う。
(委員)
第1章の『ユース・サポート・プラン』の意義と必要性のか所に,若者の自立支援がなぜ必要なのかということが何度も出ているが,「自分のために,社会のために」という部分に,内容がとても象徴的に表されていると思う。先ほど自分が若い頃,支援されただろうかという話があったが,仮に若者が歪んで見えるとすれば,それは若者を取り巻く社会全体が歪んでしまったからで,若者だけを取り上げても仕方がない。社会全体が変化していることを抜きに,若者だけを取り上げて論じるのはおかしい。
今回の資料の中では,副議長から提案された「現場会議」というもとに大きな期待をしている。これまで市町村等で事業を立ち上げる際には,行政職員主導で事に当たっていたが,親でありPTA関係者でもある現場の私たちは,事業を企画する場に参加したいと常々思っていた。現場の関係者が参加しなければ,当事者側に立った事業はできないはずだと考えているので,今回の報告書で取り上げえて欲しいと,強く思っている。発想の転換というのは行政側からではなかなか難しいので,外部のアイデアとして是非一石投じて欲しいと思う。
(議長)
行政が上から提案するのではなく,当事者が参加して作り上げていくことが必要であるという意見であった。今の意見は,最初のか所に入れたいと思う。
(委員)
他の委員と同意見である。子どもは8歳から10歳までに,脳が良いことも悪いこともすべて吸収してしまうということを聞いたことがある。10歳を超えると自我が発達し,自分で考え判断するようになるらしい。10歳以前の重要な時期に,道徳教育を行うことが一番肝心なのではないだろうか。10歳以上になり自我が芽生え,自分の思い通りにならなければ気が済まないといった状況になった時,「ああしろ,こうしろ」と言っても,脳が受け入れる状態ではなくなっているのではないか。
子どもにとって3歳くらいまでは,親の愛情が最も大切な時期だと言われている。同時にその時期の親は,子育てで大変な時期でもある。委員が以前話されたように,若い母親たちは相談するところもなく一人で悩み,子育てしている。そうした悩める母親たちを,それこそサポートしていくようなシステムを盛り込んでいく必要があるのではないか。
近年,食育が重要視されているが,「キレる」子どもをつくり出さない家庭の環境が必要だと思う。当たり前のことである「寝る」,「食べる」といった単純なことがおろそかになっているため,子どもたちが今までと違ってきているのではないか。果たして親が毎朝,考えた食事を作り子どもに食べさせているのか,疑問に思う。今も昔も親というのは忙しいものだが,その性質が本質的に違ってきている。その日その日を生きることに一生懸命な親の背中を見て育った昔の子どもたちは,親に心配をかける行動をとらないというより,取れなかったのではないか。子育てしながら自由を求めたいという現在の親の姿を,子どもはどのように見て感じとっているのだろうか,その点について昔と今の親に対する子どもの捉え方の違いがあるのだろうと考える。
また「現場会議」という話があったが,このような内容で,このようなやり方で実行したら良いのではないか,という案を載せただけの報告書では,活用されにくいのではないか。様々な成功事例,有益な話等を提供してくださる先生方,若しくは団体といったものを報告書に多く盛り込み,それを見ることで何らかのヒントがつかめるような報告書にしなければ,漠然としたものでになってしまうと思う。
(議長)

やはり,家庭が基本になると思う。まず,家庭生活が基本となり理論観であるとか,市民教育のようなものを小さいうちからやって行く必要がある。そして,家庭で足りない部分を社会教育でサポートする必要があると思うので,その点を報告書に盛り込むようお願いしたい。
(委員)
私自身,音楽という個性重視の仕事に従事しているが,個性重視の前にある種の強制と集団に起きる訓練が必要だと考えている。強制と訓練というのは物理的なことではなく,いわば団体行動がきちんとできると言うことである。例を挙げると,最近の修学旅行はどこでも行きたいところに行けるが,あくまでも本来の目的は団体行動するということであって,将来自分に必要なルールを身につけることだと思う。個性重視の教育と言っても,子どものわがままなどマイナス面をそのまま放っておくのではなく,ある種の強制と訓練があって初めて個性重視が出てくるのではないだろうか。その区別をはっきりしなければならない。そうしたメリハリの付け方は,1歳までは甘く,1歳からはかなり厳しくしつけるといった盲導犬の育成に似ており,参考になるのではないか。以前,音楽の授業が成り立たないという学校で教えたとき,教室を暗くすることで騒がしい生徒を落ち着かせたことがあり,その後,生徒一人一人に目的を待たせると各人が一生懸命取り組んだという体験をした。支援というのはある種の強制と訓練ではないかと思う。現在の若者は,団体行動を学ぶべき時にそれをせず,様々なばにおいて欲求を充足する方向に進んでおり,野放しの状態になっている気がする。
目的があって頑張れるということと,団体の中で我慢してきちんと行動するということのメリハリがしっかり身に付けば,18歳以降の人生が変わってくるのではないか。個性重視の教育がその子どものわがままな部分を容認するということではなく,個性を出すためには強制はどうしても必要であるということを教えるために,支援が必要だと考える。
(委員)
具体的には第1章の『ユース・サポート・プラン』の意義と必要性の部分なのだが,実際こうした報告書を作るにあたって,県の職員のいる場でたくさん意見を述べさせてもらっているが,行政ができることは場の提供であったり,施策を充実させたり,ということが限界なのではないか。プランの提案のか所に「すべての県民が力を合わせ,協力することが必要であると考えます。」とあるが,むしろ,県ができることはここまでが限界であって,県民一人一人が自分の生活を見直さない限り,成果が出ないというくらい強さを持った言い方をしても良いのではないか。県民一人一人が自分の生活を見直すところから,次の世代が立ち上がってくると思うので,実際の自分の生活時間を,例えば登校する子どもたちに挨拶してみようというように,足元から皆が変えようとしなければ,何も変わらないということを声高に言っても良いのではないかと思う。
(委員)
低年齢の時に何を知らせるかがとても重要だということは,委員の意見として出ていることで,その低年齢の子どもたちを一同に集めている場所は,非常に重要で度外視できるものではない。保育所,幼稚園,小学校,中学校,高校等,私は大学も含まれると思うが,それぞれの年齢にあった重要性があると思う。
報告書を作っただけでは何にもならず,実際どこまでやらせることができるかが重要なことだと思う。それぞれの年代にあったプランをきちんと提示し,社会の変化に対応してどのような方策を提言していくかを考えるのが,我々の役目であるので,提出した報告は実践して欲しいと思う。
(委員)
「自立支援」という言葉だけでは駄目で,大人として扱うなら選挙権を引き下げるとか,犯罪も大人と同様に裁かれると言ったようなことを,提言すべきではないか。サポートというのは,本来,力を持っている若者が力を発揮せざるを得ないような場所を提供することであり,若者の力を引き出すことであって,意欲のない若者を支援しようとするものではない。また,就業支援よりも引きこもりの問題が重要だと思う。
中教審では労働観とか勤労観をしっかり持たせるとあるが,この問題については,先ほどから出ている長期間・短期間ということで考えると,長期間というのは長い間をかけてということではなく,問題の根源に迫り人間観と言ったところまで入り込んでいかなければならないことであって,短期間は対症療法としてやるものであるということを整理しながら,取り組んでいく必要があると思う。
(議長)
事務局には,報告書についての事業評価をきちんと出して欲しいと思う。その結果が出たら社会教育委員会議に報告していただきたい。
(委員)
先ほどからの諸委員の意見等に,同感である部分があった。特に幼児期からの矯正の必要性や地域の大人の社会参加については,その通りだと思う。しかし,気になるのは「楽しい」という言葉が繰り返されすぎているのではないかということである。6,7ページのあたりを読むと,先ほどから皆さんがおそらく危惧しているように,子どもが「お客さん」になってしまうのではないかという印象を受ける。子どもと一緒に遊ぶことが,地域の大人の役割ではないし,責任ある大人の姿勢をしっかり子どもに見せるということで,大人の社会参加を図らねばならないと思う。大人が楽しめる新たな社会参加というのではなく,大人が責任を果たしている姿を子どもに見せるということを,報告書に記す必要性があるのではないか。
また,議長が言われたように,茨城独自のものをもっと強く示しても良いのではないか。茨城ではここに力を入れて子どもに対処していくのだということが,はっきりわかるものにして欲しいと思う。その意味で,副議長が提案された「現場会議」といったものをメインにしても良いと思う。
私は現在,企業に対して家庭人としての親を家庭に返してほしいという活動をしているのだが,家庭や地域に大人を返すという努力を企業にしてもらわなければ,大人の社会参加は不可能である。報告書素案の中で提言されている理想的な地域社会を実現するためには,地域で活動できる大人を増やすことが必要であり,そのためにも休暇等をきちんと取れるように,行政が後押しすることが必要である。社会教育というものを充実させるためには,そのあたりの行政の力が必要ではないかと思うし,行政がそういう姿勢を見せるということを報告書に謳って欲しいと思う。
素案の中に,活動している団体・グループのネットワーク化を行政の掛声で構築するとある。
しかし,高いところから行政が声を掛けるのではなく,むしろ地域の学校やPTA或いは公民館や自治会等が持つ人材情報を充実させるために行政が力を貸したり,ノウハウを教えることのほうが重要なのではなかろうか。15ページのところに「総合的な学習の時間」をとおした,小・中・高が連携したキャリア教育の推進とあるが,現在,社会的にこの「総合的な学習の時間」が大きく揺らいでいる。この時間を本当に重要だと考えて,茨城の特色としてキャリア教育に重点的に取り組むという姿勢があるならば,「長い目で見て成果が上がる」システムづくりとして効果的なものと考える。
(議長)
本日はたくさんのご意見をいただいた。各委員の意見を報告書に盛り込み,今後の作業を進めたいと思う。
平成16年度 第5回茨城県社会教育委員会議 2021-12-20 [茨城県生涯学習審議会]
平成16年度 第5回茨城県社会教育委員会議
2021-12-20 [茨城県生涯学習審議会]