続き

2021年12月20日 15時26分 [茨城県生涯学習審議会]
(委員)
東海村で,4月1日から毎週土曜日はテレビを見ない「ノー・テレビデー」を設けるという試みが行われており,昨日は東京家政学院筑波女子大学長の門脇先生等4名の方をパネリストに迎え,小学5~6年生,中学1年生の子ども達3名の「ノー・テレビデー」体験の発表があった。そこでの話を聞くにつけ,末端の部分からきちんと取り組まなければ,フリーターが100万,200万人ともいわれている現状を考えると手遅れな状態になってしまう。こう考えると,今の若者たちと,今子どもを産もうとしている,あるいは産み育てている人たちの両方を,並行して教育する必要があると思われる。資料にも,家庭と地域と社会連帯,学社連携とあるが,これらをすべて同じように対応していかなければ,若者だけの対応をしたとしても後から後から次の世代が育つ以上,根が残る事になり,問題の解決にはならない。
先日の長崎の事件を考えても,大きな意味で国を挙げて何かしていかなくてはならないということは,皆さんも同感かと思う。子ども会の立場から発言させていただきたい。子どもたちの本当の原点は家庭の中であると思う。昨日,保育所の所長の談話で,子どもたちに変化が起きているという話があった。15,6年前には見られなかった現象であるということだ。ある映画を子どもたちに見せたときのことであるが,親子の羊が狼に追われて湖の薄氷の上を逃げるという場面があった。軽い子羊は無事に渡るが,重い親は氷が割れて湖に落ちてしまう。それを見た今の子どもたちの反応は「おもしろい」といって笑うというものだった。15~20年前の子どもたちが「かわいそう」「どうしよう」という反応をしたのに対し,今の子どもが笑うというのは,子どもたちの考え方が変わってきたためではないか。バラエティー番組等で,大人がいじめられたり,物をぶつけられたり,おかしな格好をするのを笑うということが,子どもに蔓延してしまっているのではないだろうか。すなわち大人の私たちもそういった人間になっているのかとも思う。そういったことを考えても,今家庭での教育を親も含めてしっかりとしなければならない。
茨城県では,『お手伝い帳』を小学1年生を対象として出しているが,本当に活用されているか見直すことが必要であると思う。小さな子どもたちがお手伝いすることによって,自分が家族の一員であることに気付いているのか,それを褒めているのか,注意しているのか,役に立っているのかということが,職業観の大きな始まりではなかろうか。子どもに,自分が家族の一員であるということ,お手伝いによって両親が助かっているということ,自分の存在意義といったこと,それらを実感させるということも一つの職業観に繋がる。
また,親が自分の人生観といったものを子どもに語っているだろうか。例を挙げれば,良い高校に入り良い大学に入り良い就職をすることが「勝ち組」だと本当に誰もが思っているだろうか。それとも,職業というものは多様性があってこそと,親がしっかり子どもに伝えているだろうか。
加えて,親の社会参加が本当に成されているだろうかということがある。ボランティア等のことばが口端に登ることはあっても,果たして実際に行われているのか疑念が残る。子供会の視点から見ると,子供会の役員は大変だからと,子どもと一緒に子供会を抜けてしまうことが現実にあり,子どもたちがそうした親の姿を見るのはどうなのだろうと疑問に思う。
小学校低学年から職業観ができてくれば,子どもが自ら,職業というものはなんであっても,お金をきちんと稼ぐことができれば良いのだと,わかることができるということが望ましいのだと思う。資料にある,青少年の社会自立には職業観をしっかり樹立させようということは,小さい時からの積み重ねが必要であり,家庭と学校の両方でどう実現していくかが肝要だと考えている。
私どもでは今,中学生を何とかしようということで,中学生のジュニアリーダーを養成しており,前期・後期で中学生を募集している。その中学生を見ると,まず挨拶ができない。家庭で挨拶をするか訊ねると,挨拶をすると答えたのは23名中わずか2名だけだった。他の子どもは家庭で挨拶しておらず,当然挨拶の言葉は出てこない。そういったことも含めて,社会参加の中で様々なことが必要だと感じている。
職業観ということに関しては,先程も述べたように小さい頃からの生き方もあるが,学校を終えたら職業に就くのだということを親が言い伝えることが必要だと思う。そういう意味で学校では今,社会参加等,職業の体験をさせる試みをしているが,できるのは週あるいは月に1,2 回程度であろう。職業観について取り組めるのはむしろ,家庭内ではなかろうか。他の委員からもあったように,アルバイトの推奨に同感である。アルバイトをすることによってお金の大切さをわかることが重要ではないか。子供会ではインターンシップということで職業体験を実際に行っている。しかし,これをやるのはせいぜい3~4日に過ぎず,果たしてそれで職業観が育成できたかといえば完全ではない。むしろ家庭に戻った時,それがどう継続されるかが必要になるわけで,地域・家庭に関しては私たちを含めた様々な団体で再度,取り組むことが必要とされる。
(議長)
家庭で,仕事を含め人が生きるための義務についてしっかりと教えることが必要であるにも関わらず,結局は大人や親がそれをしていないのではないか,という御意見をいただいた。このことについても,何らかの手を打っていかなければならない。
(委員)
小・中学校や高等学校において,各校長先生がどういう方針でどういう指導をしているか,自分の子どもが通っていない限りよくわからない。学校教育も大事だが,経験上スポーツを通じて人間を育成していくということが重要であると考えている。テレビで紹介されていたが,柔道のオリンピック金メダリストの古賀選手が「古賀塾」を開き,小さい子どもからスポーツを通じて人間育成をしていくという試みを始めている。同じく柔道の吉田選手も「吉田道場」をつくっている。これらは学校でできないものを自分たちでやろうという試みであり,学校と町道場の考え方が相反している面があることを踏まえたものであろう。
中学生の大半が携帯電話を持っている。その料金等を支払うためにアルバイトをしなくてはならないということになるが,そのアルバイト料の遣い道はといえば,生活に充てる目的ではなく,遊興費にするのが目的という状況になっている。
また,日本国民には憲法があるように学校には校則があり,家庭の中にもルールがあるわけで,一度決められたことを守らせることが大事なのではないか。就職についても,私の立場では就職活動をするわけにはいかないが,精神を植え付けることはできる。余談ではあるが,ある子どもの例では,それまでレスリング道場に親の車で送り迎えされていたものが,他の子どもたちが徒歩や自転車で通ってくるのを見て,自ら道場まで走ることを親に申し出たということがあった。人を見て教訓を受けた好例だと思う。あれこれ一方的に植え付けるということよりも,見せることで精神的なものを植え付けることが大事だと考える。
(議長)
学校を補完する視点から,道場などの話をしていただいた。また,スポーツを通じて人間育成ができれば,という御意見をいただいた。規律を守る,鍛えるということが大事だということは,同感である。
(委員)
皆さんの御意見を聞けば聞くほど難しさを感じる。社会全体が抱えている課題が根深いと思う。
本日つくば市では,子育て支援に関わる団体に対してネットワークを作って,つくば市全体の子育て支援について考えていく機会を作りませんか,という市の呼びかけで,団体の方50名ほどが集まり,筑波大学の学生にコーディネーターを務めてもらった。つくば市の子育て支援で問題だと思うことや自分たちは何が出来るのかといったことを,5グループに分かれて付箋一枚に書き出してもらった。その中で一番問題になったのが,地域の中で人間関係が少ないということだった。出された意見の約半分くらいが人間関係がないというもので,しかも様々な人たちから同じ意見が出た。これは地域の中で基本的な人間関係が全く無いということ,ひいては日常生活でも無いということで,子どもの立場で考えれば,家庭つまり自分の親と,学校の先生との付き合いの中でしか,大人に触れていないという現状を示している。先程,職業観ばかりにとらわれず自分がどう生きていくのかが重要だというお話が出たが,私も全く同感だ。あまり早い時期から職業観云々というより,自分は何が好きなのか,何が得意なのか,どんなことをしているときが楽しいのかといったことを,たくさんの大人に関わりながら知り,また大人もその子の良いところを発見して教えてあげたりといった,親と先生以外の大人に触れる機会をたくさん作っていくことが必要だと考える。
長崎の事件以来,全国のどこであの事件が起きても不思議ではない,自分の子どもが巻き込まれたり犯人になったかもしれない,という声が全国各地から聞こえてくる。先日,ままとーんの会員同士のメーリングリストで出た話だが,2歳の子どもを連れた会員の方が,とあるコンビニエンスストアで小学高学年頃と思われる男の子たちが成人向け雑誌を立ち読みしていたのに出くわした。雑誌を読むこと自体は,悪いとは思わないが,そういった雑誌を堂々と立ち読みすることに対して恥ずかしいと思う気持ちや節度といったものを感じてほしいと思い,何かひとこと,言いたかったそうだ。しかし,事件のこともあり,自分の子どもに危害を加えられないだろうかと小学高学年程度の子どもに対して恐怖を感じ,そのままその場を立ち去ってしまった。後になって自分の中で,あれでよかったのだろうかと悶々としている,というお話だった。身近な小・中学生である地域の子どもたちが,信じられないような「ムード」といったものをマスコミが作っているように思うし,それに対して自分も実際に顔が分かる関係やその機会が全く持てていない。全体的な問題になるのかもしれないが,こうした機会を色々なところで持つことが重要であろう。たたき台のほうで,ガイドラインとして考えられることや具体案などが挙げられているが,そうしたことを前提に,みんなで取り組み,みんなで作っていくようなものがなければ,言い換えれば,家庭や社会教育,学校など個別にやることを挙げていっても,「誰がやるのか」という主体がなければ,結局絵に描いた餅になってしまう。考えるほど難しい問題だが,その点がなんとかならないかと思う。
(議長)
「誰がこれをやるのか」ということが一番の問題だと思う。
(委員)
先程お話にあったように,分散されて各場所で問題が起きていると思うが,そうなるとどこから手をつけていいのか,考えてしまうところだ。教育の現場にいる私から見ても,子どもたちがここ10年で大きく変わってきているのは明らかである。先程の,氷が割れて親羊が溺れたらどうなるか,というお話にあったとおり,私も今の子ども達はほぼ100 %笑うと思う。しかし,これを非難することもなかなか難しい。なぜこういうことになってきているのか。社会が確実に変わってきているのは事実だが,変わることがいけないということではなく,変わってきている中で,ここまではいいけれどもこれはしてはいけないという線引きが,子どもたちの中で非常に曖昧になっていると感じる。ちょっとした冗談であるならば昔から良しとされているけれども,人を傷つけるようなことを言っても平気なのかどうか,その線引きが今の子ども達は全くできていないように思う。
いろいろ問題はあるが,一番の問題は家庭の中であって,若者を育ててきた親御さんの世代にも教育を施す必要があるのではないか。例えば,パラサイトシングルをそれで良しとしている御家庭の親御さんもたくさんいるかと思う。その背景には,核家族化や老後の問題などがあるとは思うのだが,私が聞いたところの親御さんの意見として最近多くなっているのは,自分の老後が心配なので子どもを手元に置いておきたいというもので,とても切実に願う母親たちが多い。子どもがパラサイトしているという風に言われているが,実は親が確実にパラサイトしているのではないか。従ってまず,親やその上の世代の,社会観や,自分の人生観について,親の世代として子どもにパラサイトしなくても生きていけるような豊かな人生を送れるような教育も必要なのではなかろうか。
ターゲットの若者についてだが,フリーターが増えるというのはやはり,やりたいことが見つからないというのが現実だと思う。見つからない理由としては,もちろん無気力感等もあるかとは思うが,ノウハウを知らないということがあると思う。まずどういった職業が世の中にあるのか全く分からない。学校教育ではそういった教育は一切なされていない。最近は徐々に見直されており,取り入れられてきてはいるが,私たちの世代の時はそういった授業等は全くなく,とにかく知識を詰め込む教育しかされなかった。もちろん自分の周りの身近な職業はわかってはいるが,世の中にどんな職業があるのかわからなかった。どんな職業が世の中にあるのか,そしてその職業に就くためにはどうしたらいいのか,という動機付けのようなものが薄れていて,ある程度大人になり大学生位になったときに,こんな道もあったのか,こんな職業もあったのかと気付いたとしても,そこからの進路変更はかなり難しい状況になってしまっているのも事実ではないか。村上龍氏の『13才のハローワーク』があれほど売れたのは,こうした要因があったからではないか。もっと若い小・中学生の段階から,色々な職業があるのだということを,身近な職業から始めてもかまわないので,学校の中でしっかり講演をしたり,卒業生等いろんな職業の人を呼び,例えば,すべての職業を紹介することは到底不可能だとは思うが,一年間かけて少しずつ取り組むことはどうだろうか。いま学校ではゆとりの授業ということで,授業時間を削減して「総合的な学習の時間」を取り入れているが,あまり活かされているとは思わない。実際,子どもたちにその時間に何をやっているのか聞いてみると,よくわからないという答えが返ってくる。その時間に職業セミナーとまでは言わないが,ここまで述べてきたような取組を充ててはどうか。色々な職業の方に来ていただいて,30分でも40分でもちょっとした講演をしていただき,お話をしていただくと,こんな仕事もあるのかと自覚を持っていけるのではないか。その中で,自分はこういう事をやってみたいという興味を持つことが,まず第一だろう。興味を持てば,子どもたちが変わってきているとはいえ,やってみたいと思えばそれに向かって進んでいく力はまだまだ持っていると思う。最初に述べたことと重なるかもしれないが,パラサイトしている親が自分に都合の良い職業を小さいうちから刷り込みのように子どもに延々と言い続けているような印象がある。子どもたちに将来何になりたいのか聞くと,半分くらいの生徒は即答する。重ねて,どうしてそれになりたいのと聞くと,100 %近くは親がなれと言ったからなどと答え,自分の意志ではなく親御さんの意志の下で動いているということがわかる。しかし,ある程度自分の意志を持ってくる年頃になって親御さんとの意見が合わなくなってきた時に,自分でどうしていいか分からなくなってフリーター化してしまう子どももかなりいるのではないか。
(委員)
先程から話に出ているが学校教育と社会教育が補完関係にあるということに同感である。他の委員からお話があったように,社会教育の中で子育て支援に関わる団体を全て集めて,一堂に会したところで話し合いをするということは非常に大事だと思う。一方その輪を広げて,子育て支援に限定するのではなく,東北で行われていたと思うのだが,ワーキンググループといって市内の団体を全部集めて,自分たちはこういう活動をしている,という情報をまず出す。すると似たような事業をあちこちでやっていて,そこで子どもの奪い合いのようなことが行われていることが分かる。それが見えてくると福祉と町づくりが繋がって一緒の取組をしたり,青少年健全育成と子供会が一緒に事業を行ったりということが,可能である。そういったことが社会教育の場のどこかでできないかということを考えていた。大きな町ではかなり難しいものだとは思うが,小さな町で試みてもらい,成功事例を副委員長のおっしゃるように広めていくことが大事なのではなかろうか。
現在,私の高校生の子どもたちが口々に言うのは,コンビニに入ると店員の視線が自分に向けられるのがよくわかるというものだ。社会の中で,若者は何をするか分からない怪しい奴だという雰囲気が既にあり,そのことを子どもたちは如実に感じ取っている。実際ほとんどの子どもたちは正しく真面目に動いている。しかし,ある一隅の部分をメディアが大きく取り上げるために,世間一般の方は髪を染めているだけで,30年前と今では髪を染めるということの価値観が違うと思うが,「あいつは」という見方をされがちになってしまう。そういう雰囲気の中で子どもが「正のスパイラル」に入っていけるのだろうか。従って,メディアがあれだけマイナスの情報を出すのであれば,プラスの情報を公共機関が出さねばならないと思う。どこでも,回覧板等で行政の市報などが届くと思うが,大抵その家の母親が見た後捨てられてしまい,子どもの手にはなかなか渡らないが,その中に子どもが頑張っている様子を必ず取り上げるなど,本当にささやかなことだけれども頑張っている,という情報を,子どものみならず大人に向けても発信することが大事なのではないかと非常に強く思う。
前回も申し上げたが,中学校の「総合的な学習の時間」で,頑張っているところもあり,そのなかで学校の先生がボランティア情報をあまり持っていないということは前回も述べた。それでも工夫されていて,テレビ番組の『ようこそ先輩』のような感じで,自分たちの倍ほども年齢の離れた人の話を聞くのではなく,2~3歳差,せいぜい10歳前後しか歳の差のない20代前半位の人を呼んで職業観や経験談を話してもらおうという企画は立てておられるようだ。そこで思うのは,学校というところは先生個人に情報が蓄積され,先生の異動と共にその情報もどこかへいってしまうということだ。学校の中にそういった情報がきちんと蓄積されるシステムを作っておかないと,せっかく提供した情報も生かされず,先生と一緒に移動してしまう。また,先生の中には社会教育主事の資格を持っている方も多いが,あまりこの資格が生かされていないように思う。社会教育担当の専門の先生を学校に置くことはできないものだろうか。中学校の先生は大変忙しく,部活を担当し,校外指導や進路指導をやりつつ,なおかつ社会教育に関わって情報も取れというのは無理であろう。担任も持たず部の顧問でもない,社会教育のみを扱う先生を学校に置けないだろうか。
(議長)
社会教育で色々な団体がやっていることの情報の整理というのは重要な点であると思う。また,子どもたちが活動している良い面を,社会の中で情報として共有していく仕組みを作っていくことが必要だという御意見をいただいた。
(委員)
補足として,この単行本に紹介された12人は,ほとんどが東京都の子だが,うち2名が茨城県出身である。自分の好きなことを突き詰めてお店をオープンした,オーナーになったという内容なのだが,こういった例が至近にある。こういう人たちは,自分の店をオープンできたことやこれまでの自分の人生を細かく区切って,最初のステップはどうだったかということをきちんと話せる。こういう人の中学校の時の体験談を子どもたちに伝えるのことは大事だと思う。
委員)
我々が今生きている時代そのものが大きく変化している。例えば,若者のフリーター化が取りざたされているが,大人もまたフリーター化しているという。年間数十万人という規模で,3ヶ月単位で雇われ,その期間が過ぎればまたハローワークに行かなければならないという人たちが,40歳代位でも結構な人数存在している。合唱団などをやっていると,「主人が失業したのでしばらくお休みします。」とか,「再就職したのでまた通います。」といった話を聞くこともあり,落ち着かない社会になったと感じる。昔は,コンピュータが登場したら人々の生活は時間に余裕もできて豊かになる,などと言われていたのが,実際は一気にリストラが行われ,片方で超多忙な人がいて,片方には失業者が,ということになってしまった。こうした,本来進むべきだった方向と反対の方向に進んでいるという状況の中で,このフリーター化という問題も,実は若者だけでなく相当年齢の高い世代にも進行していると言うことができよう。
今まで我々は「上昇の時代」にいたが,これからは人口も急速に減り「下降の時代」に入っていくということを納得した上で,様々なことを提案していかなくてはならない。その一方で,昔あった,例えば朝鮮人差別といったものは,文化・スポーツの中で,特にワールドカップと『冬のソナタ』によって,お互い意識し合うことが無くなり,一気に氷解したような気がする。これも時代が変わったことの一つの表れであろう。また,中国人と話していても,まさに中国は今「上昇の時代」に入っており,そうした時代の反映を感じる。今,日本は残念ながら,親と一緒に来る高校生などを見ると非常に過保護で,子どもが発言する前に親が全部返事してしまいうんざりするほどだ。親がしっかりしている子どもほど問題であり,今後の色々な方針を作る上でかなり厳しいと思う。まさしく親の方に問題があり,この時代の変化に全くついていっていない。「元々こうだったはずだ」というようなところがあり,「職業に就けるはずだ」と思っているが,実際はその職業がない。
もう一点は,文化が交流していくと前述したような思わぬ利点があるということである。例えば差別問題など,人間社会のどうしようもない部分が意外なところであっけなく無くなることもある。今回のワールドカップや『冬のソナタ』の日本でのブーム,韓国の側でも文化交流のたがをはずし,日本のものも韓国で人気を呼んでいるといったことが,一つの大きな流れの中で重要なことではないかと思う。細かいことを言えば,前回出した文章等があり,そうしたことをやっていけば良いと考えている。
(議長)
親の時代と今の就労の市場は全く違う。親が言う,こういうところに就職できるはずだということが今は全然当てはまらない,厳しい時代であると思う。
(委員)
概ね皆さんがおっしゃったようなことだと思うが,ただ,理想として,他の委員がおっしゃったような人生論・人生観といったものは,もちろん子どものうちから無くてはならないと思うが,しかし,やはり「働かざる者食うべからず」というところから入らないといけないのではないか。そしてまた,働いている人間が,今受け取っている給料に見合うだけのものを出しているだろうかという疑問がある。年俸600~700万受け取っている人間がそれだけのものをきちんと出しているかどうか,社会全体としてそれを見なければならない。そういったことを度外視して,例えばこういった構成委員を作ったとしても何もならない。しかし,人間はそれぞれに力を持っているはずであるから,そういうことがきちんと,学校教育の中でも,もちろん小さい家庭教育の中でも,どこからも出てくるようでないといけない。理想だけを追い求めると本当にパラサイトになると思う。基本は,働かない人間は食べてはいけないという厳しい原則を小さいうちから学校でも,もちろん家の中でも身に付けさせなければならない。また,自分はどれだけの力が出せるのかという厳しいものが社会全体になければならないと思う。最低でも,1時間600~700円は稼げるはずだし,その倍働けば1時間 1,000円以上の働きができるはずだ。そういうことをどこかで軽んじているのではないか。いわば,教育をちゃんと受けている人,或いは色々な経験をした人たち,人に向かって何かを発信している側の人などに,何か勘違いがあるのではなかろうかと思う。大きくそういったことが見直されない限り,問題はどこまで行っても出てくるだろう。何年経ってもどこかで終わるわけではなく,もっと拡大してしまうかもしれない。自分はこの仕事には就けないとか,うちの子どもにはこういう仕事はやらせられないなどという考えが,どこかにあるのではないか。よって,公務員のような職業に就きたがるが,これがよくないと思う。
(委員)
まず,人生観といったところからやり直さなければならないということ,厳しくやらなければならないことを述べられたということは嬉しく,心強く思った。今日の皆さんのお話を聞くと,そういったところが一つの共通のベースになっているというのは,なかなかすごいことだと感じた。問題の整理をして一冊の本にまとめると何とかやった気になるようだが,それでは何の問題の解決にもなっていない。こういったごまかしは止めたいと思う。このなかで,幼稚園の部分がしっかりしていたら今のような状況にはなっていなかった。小学校で全部矯正が出来ていたらこのような状態になっていなかったではないか。
 職業観に戻るが,子どもの頃から,親の面倒を見るのは当たり前だと口癖になるほど言い続けることからやり直さなければ駄目だと思う。茨城で,そういうことを日本中の口癖にしましょうと言えば,職業観が変わるかもしれない。
今,フリーターのような若者がいるのは,怠けていても誰かが助けてくれるのではないかと思っているからではないか。「働かざる者食うべからず」の厳しさは良いと思う。ホームレスの人全てが悪いとは言わないが,反対にしっかり生きている人たちにはもっと元気になるようなことをやり,フリーターと呼ばれる人たちの怠惰さを助けてやるようなことは,してはいけないと思う。
職業を全部並べて,あなたの好きな職業を選べというような甘い時代ではない。本当にやりたいことのためには何回か職業を転換して,そこでようやく巡り会うこともあるかもしれない。嫌なことでも必要なことであれば,その職業をやらなくてはならないということもある。そういったことをきちんと整理して,ごまかしを前提に置かないようにしないと,意味のないものになってしまうであろう。
大事なのは,正しい職業観というものは正しい人生観や人間観であり,何のために生まれてきたのか,我々の生命の尊厳とは何なのか,自殺というものは何故いけないのか,というようなことは宗教教育を離れてはあり得ない。一番正しい生き方とは何か。人様に迷惑をかけない,といったようなことではない。正しい生き方の根元というのは,死ぬ前に自分が,何て良い人生を送ったのだろう,と思えることである。それぐらいのことを茨城の子どもたちがやろう,ということにならないだろうか。
(委員)
やはり原点というのは,家庭の中に戻っていくことではないだろうか。私たちの子ども時代は親がいて年寄りがいて,ある意味での家庭常識のスパルタ教育的躾があり,人としての常識までを覚えさせられた感がある。そのような親の躾の中から学んだ常識が,今も生きている。ですから,考え方によってはもう少し優しい家庭教育に似た,社会教育のやり方があるように思われる。
副議長が書かれた,「正のスパイラル」を回す3つのポイントという部分について,幼い子どもの共通点は,例えば家庭の中で何か良い事をしたら褒められると,その後もまた褒められたいという気持ちが生まれる。頑張った結果に生まれた一つずつの自信の積み重ねを生かした,より優しい教育のやり方をとりたい。
型にはまった大人たちが,子どもたちを,押しつけ的に型の中に入れようとする部分がこの話し合いの中でたくさん出されており,そこだけはどうしても気になるところだ。
(委員)
最後になったが,委員の皆さんのお話の中に私の言いたいことに似たことも多くあったので,その部分は割愛してお話ししたい。副議長の準備メモの中に,「正のスパイラル」に入っていくことが重要だと書かれており,私としてもわかりやすい図だと思っている。やったことが肯定的に評価されるということは,子どもだけでなく大人にとっても嬉しいことだ。やはりどんな小さなことでも,偉いとか,よくやったとか,頑張ったという言葉一つで,つらかったことも救われて次に繋がるものがあるように思う。これらの言葉は大人が子どもにかけるだけでは不充分であり,大人が身近な大人に掛けていくということを日常的にやっていくことで,周りにいる子どもがそれを見て,褒めることがいいことであること,褒められることが嬉しいことだということが実感として沸いてくるのではないか。何でも「大人が子どもに見本を」などと言うが,子どもは大人のことをよく見ているものだ。大人が大人に対してどういうことをしているか,どういうことを言っているのか,父親が母親に対して何を言っているのか,母親が父親をどう評価しているのか,子どもはそういったことをよく見ていると思う。
職業に関しても,母親が「うちのお父さんのようになってはいけないから,あなたは頑張りなさい。」などと言うことが多く,父親にしても「自分のようになって欲しくないから,おまえは頑張れ。」と言ったりしている。本音の部分もあるかとは思うが,自分の今与えられている職業や立場について,子どもたちの前で「パパのやっていることは本当にすごいんだぞ。」と自信を持って子どもに面と向かって接している人がどれだけいるだろうか。一番大事なのは,親が自分の今やっていることに自信を持っている姿を子どもに見せることなのではないか。職業も,父親がやっている職業が嫌だからもっと良い職業に,と思う子どももいるかもしれないが,お金は余り稼げないけれども父親が働いている姿が格好良いから同じ職業に就きたいという人もいるかもしれない。また,父親の仕事が大変で毎日疲れて帰って来るけれども,頑張っている姿を見ると,自分も同じ職業で父親のように頑張りたいと思う人もいるかもしれない。それを,「これだけ疲れて帰ってきて,給料も少ない。お父さんのようになるくらいなら違う職業に就きなさい。」などということを言っている母親がどれほど多いだろうかと思う。給料が少なくても,この家のために私たちのために父親が頑張って働いているんだということを小さい頃から言い聞かせていれば,子どもは自然に父親を尊敬し,感謝し,憧れを持つようになるのではないか。
「正のスパイラル」について,これをやりましょうというのではなく,この考えが素晴らしいと感じた方から,実践をしていく努力を広めていくことが大事なのではなかろうか。加えて,褒め育てをすることでこのように良いことが起きた,こんなふうに子どもや自分が変わった,ということを体験談としてどこかで見聞きすることができれば,自分もやってみようという気持ちを持ってもらうことに繋がるかもしれない。もし,こういった取組をするならば,「どうぞ,やってください。」と推奨するだけでなく,結果とまではいかないが,順調な状況の方のケースを織り交ぜて見聞きできる機会を作ることによって,輪を広げていくことができるのではないかと思う。
(議長)
今回いただいた御意見を,次回までにこの案に反映させていきたいと思う。
平成16年度 第3回茨城県社会教育委員会議 2021-12-20 [茨城県生涯学習審議会]
2021-12-20 [茨城県生涯学習審議会]
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